森と化石とロマンの里ほべつ

みなさん知っていますか

北海道の穂別は陸棲恐竜と海棲恐竜の化石が出る貴重な土地です。

陸棲恐竜はカムイサウルスで、海棲恐竜はホベツアラキリュウ(海の王者モササウルスウルス)です。他にも、アンモナイトやカメなど貴重な示準化石が多数発掘されており、これら全体が「穂別の古生物化石群として、北海道遺産に選定」されています。穂別の人たちは、北海道のチベットと言われたこの地を開拓し、1950年代から化石に着目して、化石を採掘し、玄関などに飾りました。町は、1982年に日本で初めて化石に特化した博物館―穂別博物館を建設し、1991年からは「森と化石とロマンの里づくり」をスタートさせ、町民が一体となって「森と化石とロマンの町づくり」をすすめ、国内最大の恐竜化石カムイサウルスの発掘に結びつけました。

カムイサウルスは、地元や愛好家の中で「穂別恐竜」と言われていましたが、むかわ町(2006年に穂別町と鵡川町が合併)では、「穂別恐竜」の通称を使わないように仕向け、何らの会議をすることなく突然「通称をむかわ竜にする」と発表し、町内だけでなく、全国から反対の署名を突きつけられています。

2019年9月にカムイサウルスジャポニクスと学名が決まったのを契機に「もうむかわ竜と呼ばないで」との声が全国で広がっています。

年表

化石の発見者達(新穂別町史から)

・・・・穂別化石研究会がつくられ、化石採集会などをおこなっていました

1975年6月
荒木清太郎氏が長頸竜化石
1976年10月
黒崎満氏が長頸竜ノジュール(腹助骨)
1977年
笠巻袈裟男市が長頸竜ノジュール(肋骨)
1977年
煤孫三弘氏が平丘で、阿部利春氏が富内でカメ化石
1977年
穂別町長頸竜化石発掘調査団を結成して大規模な発掘作業をおこない50個以上のノジュールを発掘
1978年4月
河野哲氏含む5人が富内でデスモスチルスの臼歯・・・その後、教育委員会が中心に調査し、デスモスチルスの下顎骨、臼歯、椎骨、肋骨、胸骨を発掘
*新生代第三紀の草食性哺乳類の化石で、「化石の里ほべつ」は、幅広い歴史を持つ町であることが確認される出来事
1979年4月
菅原昭二氏が鯨の化石(椎骨)
1980年9月
石崎正行氏と荒木新太郎氏がウミガメノジュール
これまで殆ど発見されていない白亜紀末期のウミガメの骨格で学問的価値が高いく、1988年の研究発表で「化石の里ほべつ」の名を一気に広げた
1980年
中条太光氏稲里でモササウルスのノジュール(尾椎骨や指骨)
1981年8月
佐藤博義氏が長頸竜ノジュール(指骨)を穂別博物館に寄贈
1981年10月
中村敏子氏茂別で鯨の化石(上腕骨)
1981年
鈴木茂穂別博物館学芸員が富内でカメ化石(函淵層群)
鈴木氏は1983年と1984年にも発見
1982年
森谷彰氏が稲里でモササウルスのノジュール(頸椎と歯)を発見し、その後、森谷彰氏と佐々木秀吉氏が稲里でモササウルスのノジュール(頭骨)
1982年11月
鈴木茂氏がモササウルスのノジュールを発見
*モササウルスホベツエンシス・・・東アジアで初めての新種と確認され
1986年の北海道新聞一面で報道され、特集記事も出された
1983年9月
森谷彰氏が長頸竜ノジュール
1985年
穂別で荒木新太郎氏、8月に平丘で地徳力穂別博物館学芸員がそれぞれカメ化石を発見
1986年10月
藤田欣亨氏がオビラルカでデスモスチルスのノジュール(頸椎と大腿骨)
1987年9月
徳力穂別博物館学芸員がオビラルカで鯨のノジュール(頭骨と椎骨)

古生物化石群認定の道の文書